AIがうまく使えるかどうかは、AIを使っていない時間で決まる
AIに文章を書かせると、上手いんです。
整っていて、破綻がなくて、それらしい。読み返しても、どこも間違っていない。
だから最初のころ、私はAIのことを「自分を実際より大きく見せる道具」だと思っていました。中身がなくても、それらしく見せられてしまう。使い方を間違えれば、嘘を上手にするだけの道具になる、と。
今も、その心配そのものは間違っていないと思っています。
ただ、使い続けているうちに、ほとんど逆のことも思うようになりました。AIは、自分がほんとうは何を思っているのかを、いちばん正確に暴いてくる相手でもある、と。
少し前に、こんなことがありました。
書き上げた記事の、最後の一章を全部捨てました
先に、ひとつ開示しておきます。
このブログは、Claude という生成AIと一緒に書いています。前に書いたとおり、このサイト自体もそうやって作りました。隠すつもりはまったくなくて、むしろ全部お見せしたうえで、それでも面白いと思ってくださる方に読んでいただければ、と思っています。
それで、本題です。
「うち、ITリテラシー低いんです」と言われたとき、私が見ているところという話を書きました。あの記事の最後の一章には、最初、Claude が書いた案がありました。
趣旨はこうです。「苦手の説明はいいので、あなたの現場のことを聞かせてください」。
上手かったです。流れも自然で、記事全体をきれいに締めていました。正直に言うと、そのまま出せてしまう出来でした。
でも、読んだ瞬間に「これは違う」と思いました。
苦手を話すのは、不安を預ける行為です。それに「その話はいいので」と返すのは、預けようとした不安を突き返すことになる。リテラシーが低いと悩んでいる人に向けて書いた記事なのに、記事そのものがその人を否定してしまう。
だから全部捨てて、「それは聞かせてほしい。そのうえで」という並びに書き直しました。
判断していたのは、文章力ではなかった
あとから考えていて、面白いなと思ったんです。
あのとき私は、文章の良し悪しを判断していたわけではありませんでした。上手いかどうかで言えば、Claude の案のほうが上手かったので。
では、何が「違う」と言わせたのか。
たぶん、実際にそう言った人の顔を、私が見ているからです。
「うち、ITリテラシー低いんで」と言うときの、少し早口になる感じ。目線がわずかに下がるところ。言い終わったあとの、ほんの一拍の間。あれは謙遜ではなくて、先に言っておかないと不安だから言っているんだ、ということが、その場にいると分かります。
だから、その不安を「いいので」と払ってしまう文章に、頭より先に体が反応した。

この判断材料は、パソコンの前では一つも手に入りません。訪問して、椅子に座って、本題に入るまでの15分。あそこにしか落ちていないものです。
それに、同席していれば誰でも拾えるというものでもないと思います。同じ部屋にいて、まったく気づかずに帰ってくることもある。自分の感覚を開いたままにしているから、引っかかる。
そうやって自分の感覚でつかまえたものが、根っこにあるかどうか。私にとっては、そこだけが「よくできた文章」と「私の文章」を分けています。
AIに向かっていない時間で決まっている
そう考えると、AIをうまく使えるかどうかを決めているのは、AIに向かっている時間ではないな、と思うようになりました。
何かに心を動かされたか。人の話を、途中でまとめずに最後まで聞いたか。うまくいかない日を、それでもお客さんのために一生懸命やったか。
そういう時間は、AIに向かっているあいだ、何の役にも立たないように見えます。効率とも関係ないし、成果物にも出てきません。
でも、AIが出してきたものに「違う」と言えるかどうかは、そこで全部決まっています。
逆に言えば、判断材料を持たないままAIに向かうと、出てきたものが正解に見えてしまいます。上手いので。整っているので。
違和感を持ったまま、上手いものを通す。それを何回か続けると、上手いけれど誰の言葉でもない文章ができあがります。嘘をついたつもりはないのに、いつのまにか自分ではなくなっている。私が最初に感じた気持ち悪さは、たぶんこれでした。
——と書くと「では、AIを使わない人がいちばん強いのか」という話になりそうですが、そこは逆だと思っています。
私は毎日使っているから、毎日「違う」と言う機会があります。使わなければ、自分の見立てが本物かどうか、確かめないまま過ごせてしまう。
ただ、外に出ているだけでは足りない
ここまで書いておいてなんですが、「パソコンから離れて現場にいればいい」という話でもないと思っています。
さっきの話を、もう一度考えてみます。
あの人の表情の記憶を、私はずっと持っていました。でも持っているだけのときは、「なんとなく覚えていること」でしかありませんでした。使えるものではなかった。
それが、「苦手を話すのは、不安を預ける行為だ」という言葉になった瞬間に、はじめて自分の手の中に入ってきた感じがしたんです。
そしてその言葉は、Claude の案という当て板がなければ出てきませんでした。白紙に向かって「読む人を否定しない書き方をしよう」なんて、私はぜんぜん言語化できていなかったので。
AIが出してくるのは、世の中の平均です。いちばん標準的な物差し。だからこそ、ズレた位置がそのまま自分の輪郭になります。
体験しているだけでは、自分にも見えていない。当てて、ズレて、そのズレの理由を言葉にして、はじめて人に渡せるものになる。
「これでいい」と「これは違う」の境目
なので、AIに整えてもらうこと自体が悪い、とは私はもう思っていません。整った形が先にあったからこそ、「違う」と言えたので。
境目はたぶん、出てきたものを読んだときに、自分の中で何かが動いたかどうかです。
賛成でも反対でも、動いたなら思考は前に進んでいます。危ないのは、何も動かないまま「まあ、これでいいか」で通してしまうときだけです。
それと、一回では終わりません。
言葉にすると、必ず何かがこぼれます。きれいにまとまるほど、落ちるものがある。だから、こぼれた側にもう一度「違う」と言う。あのとき私がやったのも、結局それでした。
「違う」と言えるものが、自分にはないと思う方へ
こういう話をすると、「自分にはそんな確かな意見はない」と思われるかもしれません。
でも、材料はもう持っておられると思います。持っていることに、気づいていないだけで。
お客さんがぽろっと言った一言。理由は説明できないけれど、なんとなく腑に落ちなかった提案。終わったあとに、少しもやっとした会議。
あれが全部、材料です。整理されていないから、材料の顔をしていないだけです。
世の中の正しさや、みんなに気に入られる言い方は、これからAIがいくらでも、上手に出してくれます。だから、私たちがそれを持ち込む意味は、もうあまりありません。
残っているのは、平均ではない部分だけです。
自分の中にあるのに、まだ言葉になっていないもの。それに名前をつける役を、私はAIにやってもらっています。
そして人に対しては、その役を私自身がやってきました。ご本人が持っているのに、持っていると気づいていないもの。それを見つけて、言葉にする。コンサルティングでいちばん喜んでいただけるのは、たいていそこです。
AIを使うようになったのは、ここ最近のことです。それまではずっと、人を相手にやってきました。だから私にとっては、順番が逆なんだと思います。もともと仕事でやっていたことを、いまAIに対してもやっている。
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